カネチコット州

喜びの数だけ喜びがある

継続は力なり(ドリンク剤は飲むことに意義がある)

勉強を教えてる高3の息子の期末テストが始まった。

「高3にもなった子に親が勉強を教えるとか、べったり過ぎないか?」という意見もあると思うが、俺はずっと以下のような考えを持っている。その考えだと自分の行為はとても正当化されているのだ。

親はみんな町道場の道場主みたいなもんで、子供はそこの跡取り。とりあえず子供には、自分の影響下にある間は、自分の教えられる技を教える。
子供が跡取りとは言いつつ、道場を継がないのはわかってるし、そもそも道場もヘッポコで、技も世界に通用するもんでもなんでもないが、親としてはこれが一番ウリなので、嫌がられない間は教える。大人になって、なんかの役に立てばそりゃうれしいが、何の役に立たなくても、残念だけど他にできることもなかったし、仕方ないな、と。

うまいこと言えてる気がしないが、そもそもうまいことなのかもわからない。

でも俺の息子の接し方のかなり根っこの部分でこう思ってる。だから「子供に無限の可能性」みたいな考え方は嫌なのだ。

子供は親によってかなり可能性は絞られる。と同時にある程度親によって広げることができる。ただなんにせよ無限なはずがない。